8.イエスにまつわる伝承 - 7. 12弟子と「ユダ」および「マグダラのマリア」 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

8.イエスにまつわる伝承〜イエスは如何にして「救世主キリスト」となったのか〜
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INDEX
1. イエス論とは。背景としてのユダヤ教
2. イエスとユダヤ教「パリサイ派」
3. イエスと洗礼者ヨハネ
4. イエスの教え「愛こそすべて」
5. イエスの行動、その使命と奇跡物語
6. イエスの十字架と復活
7. 12弟子と「ユダ」および「マグダラのマリア」

7.

12弟子と「ユダ」および「マグダラのマリア」


はじめに
 さて、歴史的にいうならば「イエス」を「神の子、救世主キリスト」としていったのは「弟子たちによる教団」であったということができます。何故なら、彼らがそれを世界に流布しなければ、歴史的にイエスもキリスト教も小さな波風のように歴史の中に埋没して存在しなかったでしょうから。
 つまり、イエスが「救世主キリスト」となっていったのは、先ず第一に
イエスの「教え、思想」があり、第二にそれを文字通り自分の人生として実践していた「イエスの活動」があり、この段階で多くの人々に「神のようなイエス」が実感され、それが弟子たちの場面で「復活のイエス」と理解されて、それがさらに教義として世の中に流布されていった、という経緯で「救世主、イエス・キリスト」が成立していったと考えられるわけです。

 その使徒たちの宣教活動については「使徒言行録」が詳しく伝えてくれていますが、とりあえず、使徒たちはイエスの捕縛の段階で
「みんな逃げていた」と福音書は伝えていました。そして、「マグダラのマリア」を代表とする「女たち」だけが最後の最後までイエスを見守っていたことも福音書は包み隠さず伝えています。その女たちの知らせによって弟子たちはイエスの復活を知らされたとなっていました。
 この段階でようやく弟子たちは再結集してきたとなっています。もっとも先に示しておいたように、「ヨハネ」での疑いのトマスだけではなく殆どすべての弟子たちは疑っていたとされていますが、ともかく再結集してきたようでした。このあたりの経緯は歴史的には謎としかいえません。「何か」があったのだとしか考えられないわけで、通常それが
「イエスの復活」として説明されるわけです。
 そして、集まった弟子たちに
「聖霊」が宿り、ここに強固な宣教の弟子たちの集団が形成されていったと「使徒言行録」は説明しています。この宣教から「キリスト教団」というものが形成されていくことになるわけでした。
 この章では、その弟子たちの紹介をしておきたいとおもいます。ところで、イエスの活動時期というのは長く見積もっても2〜3年とされますが、その間にイエスは精力的な福音の活動をしていきます。その舞台はガリラヤ地方で、この時イエスはいわゆる12弟子といわれる人々を選び出し各地に派遣して自分の教えを広めさせていたと現行の福音書は伝えてきます。何故12人であったかというとそれには理由があり、イエスが生まれたユダヤ(イスラエル)民族は12部族で形成されていたからです。イエスはその数に合わせることで、自分の活動が「ユダヤ教共同体全て」を対象としているということを示したと思われます。

12弟子
 ただ、この12弟子というのはイエスの在世中はとても
「できの悪い弟子達」として描かれています。たとえばもっとも信頼すべき弟子であったペテロやヤコブ、ヨハネにしてもゲッセマネの園でイエスが苦しんでいた時、眠らずに居ろと命じられたのにぐっすり眠り込んでしまったり、イエスがユダヤ教の神官に捕まった時、イエスの弟子であることを疑われたペテロは三度もそれを否定していたり、あるいはいろいろと言い争っていたり、およそどの場面でも「立派な弟子」とは描かれていません。
 それがイエスの昇天後となると人が変わってしまい、非常に立派な弟子達となっています。このギャップには驚かされるくらいです。ただ実際歴史的事実としてこの弟子達はイエスの共同体を発展させていくのに成功しているわけですから、少なくともこの段階では立派であったと考えていいでしょう。
 ちなみに、有名な
「伝道師パウロ」はこの使徒達の時代に、天からイエスの声を聴いて回心した人なので生前のイエスは知りません。つまりイエスの直接的な弟子ではありませんでした。
 また、
「裏切りのユダ」は何故に裏切ったのかどうしても問題になってきますし、さらに福音書でも特別な存在として描かれている「マグダラのマリア」とは何者なのだという疑問も生じるのが普通ですので、ここでは彼らについても説明しておきたいと思います。

1、ペトロ
 通常「ペトロ」といいますが、これは通称で
「岩」という意味をもちます。本名は「シモン」といい、職業はガリラヤ湖での漁師でした。一般にイエスの一番弟子ということになっていますが、別にイエスは弟子に順番など付けてはいません。一番弟子とされてしまったのは、確かに現行の聖書においてのペテロの役割というのが中心的と見られるからです。さらに、そう見られるところから後のカトリック教会が「ペテロの後裔」を名乗るようになって「第一の弟子としてのペテロ」が確立されていったものと言えます。
 カトリック教会がペテロを特別視したのは、ペテロに教会のカギが預けられた(イエスの言い方ではお前というペトロ=岩の上に教会を建てる)と伝えられているからでしょう(マタイ16.18f)。こうしてペテロはローマ教会によって
「ローマ教会の初代教皇」などということにされてしまいました。もちろんペテロの時代にこんな「教皇の座」などというものは存在しません。
さらに、ペトロがローマで「逆さ十字架」にかかって殉教したというのも、「福音書」や「使徒言行録」には存在しないその他の様々の伝承も、ペテロの時代から100年くらいから数百年間の間にさまざまに物語が作られていった時代の物語といえます(たとえば
『ペテロ行伝』など)。

2、アンデレ
 これも通称で、ギリシャ語で「男らしい」といったような意味になる名前ですが、ヘブライ語の本名は記録されていません。伝承が福音書によって少し異なっていますが、通常ペテロの兄弟で同じく漁師であったとします。ヨハネ福音書では「洗礼者ヨハネの弟子」であって後にイエスに従ったとされています。
 ペテロや次ぎに紹介するゼベタイの子ら共々イエスに特に親しい弟子の一人とされ、さまざまの活動がかたられています。伝承ではギリシャのペロポネソス半島の北部に伝道しそこで殉教したとされます。今日でもその「パトラ」という大きな港町に「アンデレの記念教会」があります。

3、ゼベタイの子ヤコブ
 12弟子にヤコブが二人いるのでこのように呼ばれます。彼もガリラヤ湖の漁師であったとされます。その性格が激しかったため、弟のヨハネ共々「雷の子ら」と呼ばれたとあります。ペテロたちと並んでもっとも信頼された近い弟子であったことが福音書の描写によって理解できます。「山上での変容」や「ゲッセマネの園」など重要場面での登場人物となっています。

4、ヨハネ
 ゼベタイのヤコブの兄弟で同じく漁師であったとされます。上記の四名がイエスにもっとも近い弟子達であったとされて、イエスが神性をあらわしたとされる「イエスの変容」の場面でも、「ゲッセマネでの祈り」の場面でも伴っていました(マルコ14、マタイ17、ルカ9)。
 ヨハネ福音書では
「もっとも愛された弟子」となっており、イエスの十字架の時に弟子の中でたった一人だけ彼がいて、イエスから母マリアを託されたと語られてきます。彼の名前を持った書として「福音書」と「黙示録」と「書簡」があり、ある意味でキリスト教徒にもっとも親しい名前となっていますが、ただし「使徒ヨハネ」と「福音書記者ヨハネ」「黙示録のヨハネ」「書簡集のヨハネ」とはそれぞれ別人と考えられています。

5、フィリポ
 ギリシャ語で「フィリッポス」と発音されますが、意味は「馬を愛する者」という意味となります。ヨハネ福音書で、イエスに向かって「父を見せて下さい」とたのみ、イエスから「私はこんなにもあなた方と共にいたのに、まだ私を知らないのか、私を見てきた人は父を見たのである」という有名なセリフを引き出している弟子です。イエスに会いたがって来たギリシャ人をイエスに紹介したとありますが、「使徒言行録」でのサマリアへの伝道やエチオピア人の改宗をしたのもこの同じフィリポかと思われます。小アジアのヒエラポリスで殉教したとされます。

6、バルトロマイ
 「トロマイの子」という意味になりますが、ヨハネ福音書で「ナタナエル」と呼ばれている人物と同じとされます。そうであれば上のフィリポによってイエスに紹介されたとなります。そういうわけで、常にフィリポに次いで名前が言及されてきます。アルメニアで生皮をはがされて殉教したと言われます。

7、トマス
 一般に
「疑いのトマス」とありがたくない名前で紹介されることが多いですが、これはイエスの復活についてそれを疑い、手に打たれた釘の跡、槍で突かれた脇腹の傷を自分の手で確認するまでは信じられない、と言ったという伝承に基づくものです。

8、マタイ
 通常
「徴税人マタイ」と言われ、ローマ帝国の下っ端役人でユダヤ人から忌み嫌われていた職にあった人物とされ、後にイエスに従ったとされています。「マタイによる福音書」の名前と同じですが、両者は別人とされます。

9、アルファイの子、ヤコブ
 もう一人のヤコブですが、上記のヤコブに比べてひどく影が薄く、そのためか「小ヤコブ」などと呼ばれています。

10、タダイないしヤコブの子ユダ
 タダイは「マルコ」「マタイ」の二つの使徒表に名前がでているだけです。しかも、ルカには無く、代わりに「ヤコブの子ユダ」が載っています。詳細は不明です。

11、シモン
 ペテロの本名と同じですが、こちらは
「熱心党のシモン」と呼ばれます。熱心党というのは反ローマ帝国の急進的な活動をする集団を指します。これはイエスの弟子にふさわしくないということなのか、当時「熱心」という言葉の意味が「律法に熱心」という意味も持っていたためこちらの「熱心のシモン」であろうと理解する解釈もあります。

12、マッティア
 イスカリオテのユダが「裏切りとその死」によって抜けた後、11弟子たちが再結集してイエスを述べ伝える共同体を形成したときに、12に再編成するため選ばれた「新12弟子」となります。

13、イスカリオテのユダ
 このユダというのは、イエスを裏切ってユダヤ教の神官たちに売り渡して十字架刑で殺させたその張本人としてキリスト教世界では
「悪人の権化」のように扱われています。しかし、表ではそうなのですが、実はその「イスカリオテのユダ」を巡っては裏では昔から議論が絶えなかったのです。
 というのも、少しでもものを読める人なら、なぜユダは裏切ったのか疑問に思ってしまうからです。現行の『聖書』の四つの福音書はいずれも、ユダが裏切ったその動機や理由について納得に足る説明をしていません。もちろん何も理由をいっていないわけではなく
「金で売った」ということになっています(この説は「マタイ」の伝承で、「マルコ」もおなじ筋道と読める。しかし、「ルカ」と「ヨハネ」ではユダにとりついた「悪魔の仕業」とされる)。しかし「金ほしさ」であったとするなら、ユダはすぐに後悔して金を返しに行って首を吊ったとか(「マタイ」)、どうも釈然としません。「ルカ」や「ヨハネ」のように「悪魔がとりついた」などという言い方は「理由がさっぱり分からん」といっているのに等しいです。
 さらにここから、何故イエスは裏切を避けなかったのか、とも思われます。現行の福音書の語るところでは、イエスは裏切られることを事前に知っていて、それがユダであることもはっきり示しており、あまつさえユダに向かって、「あなたがしようとしていることをすぐにしなさい」とまで言っているのです(「ヨハネ」13.27)。これは全く釈然としません。裏切りの犯人を知っていて、しかもそれを避けようとはせず、むしろ「促した」というのでは、
「わざと裏切らせた」としか読めないからです。
 さらにもっと突っ込むと、かりにもしユダが裏切らなければ、イエスの十字架はなかったことになってしまう、とも言えます。そうなると「復活」もなくなって、イエスの神性は消し飛んでしまい、今日の正統キリスト教は土台から崩れ去ってしまいます。まして後のキリスト教ではイエスの十字架での死を
「人類の罪を背負っての贖罪」などと説明するのですが、これは何なのか、ということになってしまいます。
 要するに、イエスが病気や老衰で死んだ、となったら「人類の罪をしょって死んだ」という「人類のあがない」がなくなってしまうわけで、どうしてもイエスは
「十字架の上での非業の死」をとげなければならない、ということになるのです。つまり、イエスが「キリスト」となるために「十字架刑」は「絶対必要条件」であったということです。そういうことになると、この「絶対必要条件」は意図的に準備されなければならない、ということになるわけで、これはイエスの真実を見抜いていた者がイエスの指示の下でやったということになるであろう、という筋道になるわけでした。

 こういうことになると、「ユダは裏切りの極悪人」という通常の解釈はどうも納得できないと思われても当然です。そこには「何か」があるのではないか、と思うのが普通です。 こうしてさまざまの解釈がされてきたし、現在もされているのでした。それは表だっての神学論争とはなりませんが(やったら異端とされかねないから)、さまざまの文学や演劇に描かれてきました。典型的なものとしてロックミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』などがあります。そこでのユダはイエスに献身的な愛を捧げている弟子でした。ボブ・デュランの「神が味方」という歌にも
「君はやがて悟るだろう、イスカリオテのユダには、神が味方していたのだと」という一節があります。
 こうしたユダに関わる正統教会の見解に逆らう見解をまさに支えているといえるのが最近復刻されて有名となった
『ユダの福音書』になるのです。

ユダの福音書
 ここでのユダは、12弟子の中でも唯一「真実のイエス」を理解している最高の弟子とされています。ほかの弟子たちはイエスを理解できず、イエスの言葉に腹を立てまともにイエスの前に立つこともできなかったのに、ユダ一人だけが立つことができたのでした。そしてイエスの来たところ、つまり神の国を言い当てたのもユダだけでした。そのためイエスはユダだけに秘密の教えを授け、その上でユダに
「裏切りを要請」し、自分の故郷なる神の国への帰り道を用意させることになるのでした。そして、イエスはユダに向かって、「おまえは皆にそしられ、迫害され、死んで他の者に12弟子の地位を明け渡すことになるのだが、すべての弟子を超えた存在となるであろう」と約束するのでした。
 これなら、ユダの裏切りは納得できます。上に疑問としてあげておいたことがすべて解決されるからです。それにも関わらず正統教会はこの見解を拒否するばかりか、これを憎悪してきました。180年代の有名なキリスト教護教家であるエイレナイオスは口を極めてこの『ユダの福音書』を攻撃し、さらに375年にはエピファニオスもこの書を攻撃しています。ということは100年代から400年代にかけての初期キリスト教の時代、この書は多くの人たちに読まれ影響を与えていたということです。だから正統をもって任じている派は激しくこれを攻撃し、そして、結果的に勝ったというわけでした。

マグダラのマリア
 「マグダラのマリア」についても、その後形成されていった主流のキリスト教会からは冷淡な扱いを受けています。このマグダラのマリアというのはマグダラ地方にあった時にイエスから「七つの悪霊」を追い出してもらい(七つというのは黙示録的に理解すれば「全ての」となる)、それ以来イエスに付き従うようになったと言われている女性です。
 ところが中世になって、正統カトリック教会はその彼女をルカ福音書での「遊女」の記事と「改悛した女」に結びつけ、マグダラのマリアは
「遊女であったがイエスにより改悛した女」という伝承にしてしまい、13世紀以降多くの絵画の題材にされていきました。つまり、罪深い着飾った髪の長い妖艶な遊女の改悛の場面、といった具合です。しかしこれはこじつけであることは現代の聖書学者もすべて認めていることです。しかしやはり、彼女はキリスト教世界では遊女あがりの女、というだけでの評価となってしまっているようです。

 しかし、初期の時代にこのマグダラのマリアを中心に置く共同体があったということは
『(マグダラの)マリアの福音書』という書が実在していることから確実だと思われます。しかし、たくさんの共同体の争いの中で、結果的に正当教会となって勢力を張った会派によって多くの共同体は消されていったのですが、その中にこのマグダラのマリアの共同体もあったと考えられます。ですから、勝ち残った共同体たるその後のキリスト教団にとっては、マグダラのマリアは「敵」ではあっても、評価できる人物とはならなかったわけでした。
 さて、それではその「マグダラのマリア」とは何者であったか、ということですが、その位置づけについて『マグダラのマリアの福音書』は、先の『ユダの福音書』と同様のタッチで、
「イエスの真実を知っていたのはマグダラのマリアだけであった」となります。その主張の根拠は、現行の主流キリスト教会の用いている福音書ですら認めている彼女の特別な位置です。彼女はただ一人、どの福音書も認めている「イエスを見守っていた女性たちの代表」となっています。そして、天使から「復活の告示」をうけるのも彼女が代表ですし、あまつさえ、復活したイエスが先ずその姿を現すのは彼女たちに対してだったと福音書は伝えているのです。特に「ヨハネ」では、たった一人墓のところにとどまって泣いているマリアに対してイエスは現れ、「マリア」と呼びかけているのでした。
 こんな事情であったとしたら、イエスはマリアを特別視していたと考えてもおかしくはないことになります。こういったところから、実はマリアはイエスの妻だったのではなかろうか、という説まで出てくることになったのでした。キリスト教会にとっては聞きたくもない話しになりますが、これにも根拠がありますので、それを紹介してみましょう。

 イエスの妻について現行の『聖書』は何も言っておらず、独身とも妻帯とも言っていません。ですからどちらの可能性もあります。つまり、どちらかで(たとえば「独身」で)あったという根拠も現行の『聖書』に求めることはできないのです。それは思うに、福音書記者たちにとっては、イエスは
「救世主キリスト」であったというその一点だけが問題であり、彼の人間としてのあり方などどうでも良かったからでしょう。
 あるいは、当時イエスのような「教師」の立場にある者は妻帯しているのが当たり前であったから、当たり前のことをいちいち指摘することもしなかったし、またそんな私生活にかかわることは「救世主キリスト」を語る時全く不必要と考えられたかもしれません。
 つまり、当時のユダヤ社会の常識的な習慣からすると
「教師(ユダヤ的にはラビ)」と呼ばれるためには「妻帯者」である必要があったとされているのです。「独身の若造」では人を導く者たり得ないと考えられていたからでしょう。そうだとするとイエスも「教師」と呼ばれている以上妻帯していたと考えられます。
 あるいは研究者によっては、ヨハネ福音書にある「カナの婚礼」の場面などイエスが「花婿」でなければ言ったり振る舞ったりすることのできないものがあるとも指摘されています。そのほか、イスエが妻帯しているとの前提でやっと理解できる行動がたくさんある、などとしてこんな具合にして
「イエス妻帯説」を唱える人々は論を展開しているのでした。
 もう一つ、イエスが妻帯している可能性について論じろと言われたならば、「外典」を用いるともっと早くなると思います。この外典というのは現行の『聖書』に入れてもらえなかったキリスト教文書群で、はずされた根拠としては、勝ち残った正統教会とは別の共同体が大事にしていた文書であったから、と考えるのが一番分かりやすいですが、今日では聖書学者は「それらはグノーシス的であるから」という神学的根拠を示そうとしています。
 実際、キリスト教の成立の初期の時代には、本来キリスト教とは無関係の思想であった「ギリシャ・マニ教的要素を持つグノーシス思想」がキリスト教内に入って大きな影響を与えていました。これは明確に「反ユダヤ教」的色彩を持ったものなので、「ユダヤ教主義」をとる、後の正統キリスト共同体には嫌悪された思想でした。そして「グノーシス派=異端」という評価が確立してしまったのでした。
 しかし思想・歴史を問題にするという研究者的関心から見るならば、原始キリスト教の研究に正典も外典も全く同等の価値があると言えるのです。
 我々の問題の場合、その使える外典は『マグダラのマリアの福音書』と『トマス福音書』と『フィリポの福音書』などになるでしょう。これらの中でマグダラのマリアは特別に高い位置づけをもって語られています。『マグダラのマリアの福音書』はその名前の通り、彼女が「最大の弟子」であったという位置づけになっていることは先に示しました。
 さらに、彼女がイエスの妻と解せる語句として明確な言葉を探すと『フィリポ福音書』の中に
「マグダラのマリアはイエスのコイノーノス」であるという言葉が見られます。コイノーノスというのは日本語的には「伴侶、パートナー」と訳せる言葉です。そしてさらに、「イエスはマリアをどの弟子達よりも愛した、彼はしばしばマリアに口づけした」などといった文章が見られてきます。これを神学的にこじつけて解釈してみてもはじまりません。文字通りに読んでおくべきでしょう。
 こういうことになると、マグダラのマリアがイエスの妻としてもあながち無理ではないように思えてきます。他方、マグダラのマリアがイエスにとって特別な存在であったとしても、それでもイエスは「夫ないし男」として振る舞うことはなかったろう、という反論もありそうです。キリスト教信者にとってはそうであって欲しいと願うところでしょう。
 しかし、これに関しても外典『トマスの福音書』の中に、女性はサロメという名の女性なのですが(この「サロメ」という名前もイエスの最後を見守っている女性たちの中に見えたことは先に指摘してあります)、イエスに向かって「あなたは私の寝台に上がり、私の食卓で食事をした」という語句が見られます。寝台に上がるとは何を意味しているのかは明らかです。つまり、イエスにも女性関係があったということです。だとするなら、後にマグダラのマリアを妻としていても何ら不思議とは言えません。そんなこんなで、マグダラのマリアは
「イエスの伴侶、妻」となっていて、それゆえイエスは「教師」としての働きもできて、子どもを生んでいても不思議ではないという推定もされたりするのでした。
 私達はこうした弟子たちの姿を通してイエスのあり方を見直すことができるのであり、そこには
「生き生きと生きていた」、それだけに人々に「心を伝える」ことのできたイエスという存在をかいま見ることができるとおもうのです。

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